TRACÉ
浜辺で目覚めた男は周囲を見渡し、ある女性の姿を求める。散りばめられた様々な手がかりに導かれ歩き始める男。無事に再会を果たす男女だが、並んで海岸線を見つめる彼らの瞳は何故か憂いを帯びていた。
ワンショットで撮影、全編が逆再生で構成されたこの映画は、時間や現実、人の出会いと別れについてユニークな視点で問いかけています。


2023年製作/17分/日本・ベルギー・フランス
上映・受賞歴
2023.08. ロードアイランド国際映画祭(アメリカ)セミファイナリスト
2023.09. Camera Japan Festival (オランダ)
2023.11. 那須国際短編映画祭(日本)
2023.12. 大阪上映会(日本)
2024.04. Tokyo Lift-Off Film Festival (日本)
2025.03. マニラ上映会(フィリピン)
2025.05. Chameleon Film Festival(イタリア)【受賞】作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞
2025.06. Stockholm City Film Festival (スウェーデン)ファイナリスト
2025.06. Peshawar International Film Festival (パキスタン)セミファイナリスト
2025.06. Arthouse Festival of Beverly Hills (アメリカ)【受賞】国際短編映画賞
2025.09. Florence Indie Film Festival (イタリア)【受賞】最優秀初監督短編映画賞
出演 大橋悠太 久野祐希奈
パトリス・ボワトー 佐々木愛 春山椋 石山あかり 一休
監督/脚本 オリヴィエ・カズマ
製作 オリヴィエ・カズマ ラフ・クーネン パトリス・ボワトー
撮影 後藤真之介
録音 細谷亜友
制作 渡辺大士 齊藤春華
演技指導 佐々木愛
助監督 玉川諒太朗 佐々木愛
撮影助手 福井淳史
絵画 道廣真由美
編集 オリヴィエ・カズマ
音楽 ラフ・クーネン
サウンドデザイン イェルン・ドゥ・メイヤー
カラーリスト 森亮太
スチール PABO

監督によるコメント
作品が一般公開されるにあたり、制作背景などについてお話したほうがより作品を楽しんでいただけるのではないかと思い、コメントを掲載することにしました。今作は非常に抽象的で観念的なものなので、言葉を補うことで様々な視点を持って見ていただけるのではないかと考えた次第です。鑑賞後に読まれる方には新たな発見が、鑑賞前の方には本作に関心を持っていただくきっかけになるかと思います。良ければご一読ください。
概要 ー記憶と存在ー
TRACÉは全編をワンショットで撮影し、それを全て逆再生にして構成しています。
物語は、ある男性が浜辺で目覚め愛する女性に再会するものなのかと思いきや、最後には全てが逆のことだったのだと分かるように作られています。また、映画の中に散りばめられている様々な矛盾は、この物語が時間を一本軸として捉えているわけではないということも示唆しています。私はここで描かれていることは、上映時間である17分の間に起きた出来事ではなく、彼らの過去・現在・未来の全てで、この映画は彼らの“普遍的な記憶”を辿る旅だと思っています。
タイトル ー TRACÉ / ÉCART ー
本作のタイトルであるTRACÉはフランス語で「海岸線」や「輪郭」といった意味があります。これは文字通り彼らがいる海岸線、そして彼らの軌跡を表しています。エンドクレジットの冒頭で、このTRACÉという文字は逆転しÉCARTになります。これは逆から読むと意味が変わる“semordnilap”の一つです。ÉCARTには「隔たり」や「違い」という意味があります。これは観客が順行だと思っていた世界が、実際は逆行したものだったという認識へのギャップ、さらには私たちの時間や現実というものへの捉え方のギャップを表しています。




アイテム ー象徴的なオブジェクトー
劇中には幾つかの重要なアイテムが登場します。それらは当然、物語を前に進めるための道具でもありますが、それ以上の役割も担っています。
冒頭に登場するのはメトロノームです。これは順行に再生しても逆に再生しても、完全に可逆です。もちろんいつかは止まりますが、動いている間そこには前も後ろも、未来も過去もありません。それらの概念がないのです。
また中盤に登場するカセットテープも面白い要素です。劇中では音による演出で、時間の方向を表していますが、視覚的には一見、前にも後ろにも自由に行き来できるように見えます。
そして最後に我々にはコントロールできないものたちが出てきます。一度、人の手を離れてしまうと、空高く舞うことしかできない風船はその象徴として登場します。その動きは完全に不可逆で、時間の流れには前や後ろがあるという一般的な説の裏付けになるでしょう。
創作 ー映像と音ー
当然ですが、全てを逆に撮影していくというのは大変な作業でした。主演の大橋悠太氏と久野祐希奈氏は基本的に後ろ歩きをしなければならず、表情のちょっとした変化もどのように筋肉を動かすのか計算して行う必要がありました。通常は先に「理由」があって、それが「行動」として現れるわけですが、撮影では全てが逆なので俳優たちは振付のように動作を覚えていかなければなりませんでした。また、上映時に違和感を与えないため、カメラは俳優たちの動きに先んじてワークをすることを求められました。撮影時の俳優やスタッフの努力は並大抵のものではありませんでした。
音もまた、特筆すべき点です。
この映画は全編が逆再生された映像だったので、波や風の音、登場人物が砂浜を歩く音など、全ての音をゼロから完全に作る必要がありました。サウンドデザイナーのヨルン・ドゥ・メイヤー氏は無音の世界に音を与え、この映画にリアリティーと真実をもたらしました。また、私が当初意図していなかった様々な工夫が行われ、空間には奥行きが生まれました。
そして今作の共同製作者で作曲家であるラフ・クーネン氏の美しい音楽なしに、この作品は成立し得ませんでした。作品にほとんどセリフがないため、音楽が2人の登場人物の代弁者となり、彼らの物語を伝える役目を担いました。
メッセージ ー時間ー
今、私たちを取り巻く環境は大きく変わっています。それはもちろんテクノロジーによってもたらされた変化ですが、その影響を受けた最も大きなものの一つは、私たちの周りを流れる時間のスピードです。時間は今、どんどん早く流れています。この文章を書いている時点で私はまだ28歳ですが、この30年弱だけでもこの変化を大きく感じており、その早さに恐ろしくなる時さえあります。
私たちはいま、もう一度立ち止まって今後どう生きていくべきなのか、自分たちに与えられた時間というものにどのように向き合っていくのか考える時が来ていると思います。
人はその歴史の中で、時間や現実といった目に見えないものにいつも興味を抱いてきました。私もその1人です。そして先ほど述べたようなことを受けて、今、時間をテーマにした作品を作ろうと思いました。
時間というのは面白いもので、知れば知るほど不思議な存在になります。それまで時計やカレンダーを見て認識し、単純だと思っていた時間という存在は、それについて学んでいく過程で私の中では矛盾だらけで不思議なものへと変化していきました。その矛盾性、不思議さを作品の中で表現するにはどうすればよいのか、また何故それを映像という表現手段を用いてやるのか。それらを考えた際、ワンショットにして全て逆再生にするというのはそれらの課題に対する一つの解決方法だと考えました。
この作品が、何かしらの形で時間について考える機会の一つになれば幸いです。